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河村尚子、ヴァルチュハ、読響 [音楽]

828日池袋の東京芸術劇場でブラームスのピアノ協奏曲1番とメンデルスゾーンの交響曲「スコットランド」を聴いた。


河村尚子のピアノは力強い。それでいてとても繊細。ピアノ協奏曲第一番はブラームスが二十五歳で書いた曲。ブラームスの協奏曲はピアノのある交響曲とも言われるが、河村は決してオーケストラの中に埋没することはない。どの一音も揺るがすことがなく、しっかりと自分の音を奏でる。「ピアノのある交響曲」だが常にピアノが全体をリードし、若き日のブラームスの情熱的な音楽を表現した。ヴァルチュハ指揮のオーケストラ演奏は立派なものだったが、指揮者の音楽よりも、独奏者の音楽を尊重し、ある意味抑制のきいたものだった。もう少し自らを主張して独奏者と対峙してもよかったのではと思う。アインザッツの乱れも気になった。


アンコールに演奏されたブラームスの小品は晩年のブラームスの内省的な曲。河村は協奏曲とは全く違う音楽を選び、繊細でいて密度の濃い演奏で、ブラームスの音楽の幅広さを聞かせてくれた。同時に河村自身の音楽の幅広さを聴くことができた。


二曲目のスコットランドは名演奏だった。ヴァルチュハは河村の束縛から離れ、やっと自分自身の音楽を演奏したように聞こえる。何より協奏曲よりも活気のある指揮ぶりで、オーケストラはそれによく反応していた。指揮者は1976年スロバキア生まれの46歳。長身の長い腕を使ったダイナミックな指揮でオーケストラを鼓舞する。若々しくて聴きごたえのある音楽だった。


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西本智実 [音楽]

西本智実指揮イルミナートフィルの演奏会を聞いてきた。ホールは東京オペラシティー2階の前のほうで音響はとてもよかった。

一曲目は1970年キエフ生まれのアレクセイ・ショール作曲トラベルノートブック日本初演とのこと。世界各地7箇所の名所?の印象をピアノ協奏曲風にまとめた組曲。現代作曲家ということでもう少し刺激的な曲を期待していたが、ごくオーソドックスではっきり言ってイージーリスニング。しいて言えば終局のホースマンはまだ聞く価値があったが、ほかの曲はしまりが無い。この後演奏されたレスピーギとは音楽の格がまるで違う。ピアノ独奏は田部京子。これは完璧な演奏だった。

オーケストラは西本が主宰するオーケストラで、メンバーにチェロの木越洋がいる。イージーリスニング風のはじめから弦は良さが感じられた。音響のいい席でなおさら弦楽器の音がよかった。それに比較して管はイマイチ。特に金管が弱い。

二曲目のレスピーギ ローマの松はがんばったと思う。この日一番の演奏だった。色彩豊かでかなりオーケストラの技術が必要な曲と思うが、大きな破綻はなかったし、指揮者はオーケストラをコントロールし盛り上げていた。オルガンの位置に並んだとても金管はうまかった。トラだったのかな。

三曲目はラベルのボレロ。この曲はオーケストラの技術というよりは、特に管楽器演奏者の技術が要求される曲と思うが、かなりほころびがあった。ソロのレベルが曲に追いついていない。まったくの想像だがオーケストラの能力が要求されるレスピーギはかなり時間をかけて仕上げていたが、個人プレーのボレロはそこまでされていないのでは。インテンポでダイナミクスが徐々に高まるこの曲では、指揮に見せ場はなかった。最後の最後でアンサンブルが乱れたのはオーケストラの問題が指揮の問題かはわからない。それから普通なら管楽器はかなりポルタメントをかけるところが、最小限だった。指揮者の意図なのか?ポルタメントをかける技術もなかったとは思いたくないが。

それに比べてアンコールのブラームスのハンガリー舞曲5番はやりすぎ。指揮者が思いっきりテンポをいじっていた。早いところはより早く、遅いところはより遅く。アンコールだから許される?が、本番ならありえない。ブラームスをマーラー風に演奏した感じ。あるいはインテンポ、ポルタメントなしのボレロと際立たせたのかも知れない。ただテンポのいじり方はなんとも紋切り型で新鮮味はない。

いろいろと書いたが、全体としては十分楽しめたと思う。今回初めて聞いた西本智実について、色々言われているが、全体としてオーケストラ任せは全くなく、指揮者が終始オーケストラをコントロールしていた。統率力のある指揮者だ。男まさりの統率力を男装の麗人(古すぎ)が見せるのでとにかくカッコイイ。人気があるのはわかる。今回も9割方の入りだった。プログラムはほとんどが音楽性よりも技巧や色彩を重んじた曲だった。唯一音楽性が出るブラームスは前述のとおりだった。クラシックの音楽には色々なアプローチがあるので、私的には好きではないがこういう音楽があっていいと思う。惜しむらくはオーケストラ特に管がその域に達していなかった。この指揮者がN響や読響を振ったらどうなるのか興味があるが、残念ながらそれはありそうもない。


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文化会館でトゥーランドット [音楽]

 7月13日プッチーニのオペラ トゥーランドットを上野文化会館で見た。今回の公演は東京では新国立劇場と文化会館の二箇所で上演。ほかに琵琶湖と札幌でも上演があるらしい。初台の切符を取りたかったのだが、C席14000円までは瞬く間に無くなって、かろうじて上野の席が取れたのだった。大野和士が新国立劇場の芸術監督になって本人が指揮をするのはオープンの魔笛に続いて2演目め。本当はもっと振ってほしいところだが。曲目がプッチーニの最高傑作となれば売り切れ止む無しだろうか。 
 歌手はダブルキャストで今日はタイトルロールがジェニファー・ウイルソン、カラフがデビッド・ポメロイ、リューが砂川涼子、ティムールが妻屋秀和。今日は二日目の公演で初日はイレーネ・テオリン、中村恵理といったキャスト。かつての新国では、外国人歌手が中心の表と日本人が中心の裏キャストがあったが、今回はどちらともいえない感じ。結論から言えば、歌手、指揮、オーケストラ、合唱はすばらしい公演、演出はもうひとつかな。
 文化会館の音響は初台と比べるとややドライ、残響が少ないが、響きはいい。新国立劇場は全面が木材の贅沢なつくりで、直達音と残響が絶妙のバランス。文化会館は一部に打ちっぱなしのコンクリートと天井に吸音版?がある。正面の2~5階席はやや奥まった位置にある。奥行きが長い。1962年竣工の建物なので当時音響設計がどれだけなされていたのか、わからないが、とにかく音が明瞭(すなわち残響が少ない)がよく響くホール。今日は4階R2列13番で聞いた。新国立劇場と決定的に違うのは舞台の見え方。2列目の席だったので前席とモロニかぶる。新国立ではここまでかぶることは無い。最も舞台側に座っていたのが大柄の人だったせいもあるが。
 オーケストラは大野の手兵バルセロナ交響楽団。スペインのオーケストラ。普段聞いている日本のオーケストラに比べると緻密さは無いが、そのぶん勢いの良さがある。それにしても木管はもう少し繊細にやってほしいと何度か感じた。
 歌手ではカラフがよかった。カナダ人のテノールだ。文化会館でよく通る声が聞いていて気持ちいい。そして砂川と妻屋はいつもながらすばらしい。安定した歌唱。タイトルロールは決して悪くないが、この高音が連続する難しい役で聴衆を満足させるのは本当に難しいだろうと思う。この役はほとんどの歌手は歌いきるのが精一杯。プラスαがあるのはニルソンとかほんとに限られた歌手な気がする。
 合唱は新国立、琵琶湖、藤原の混成部隊のようだが本当にすばらしい。ヨーロッパの歌劇場の合唱でもここまでそろっていて、しかも聞かせてくれる合唱はない。三浦洋史ブラボー。
 大野の指揮は、それほど個性を感じさせるような音楽ではないが、どこをとっても充実した重みのある音楽だったと思う。とにかくどこを切り取っても、もう少し早くとか遅いほうがいいのではとか感じない、流れが一貫した音楽だった。
 最後に演出だけは一寸わからない。冒頭から、解説を読んでわかったことだが、トゥーランドットの祖先の姫が外国の王子から受けた屈辱をあらわしているらしいが、舞台を見ていてもそんなことは理解でない。ピンポンパンが1幕2幕では粗末な衣装であらわれる、われらが砂川もひどいメークアップ。狭い舞台にやたらと多い人物。掃除機やら武器もった役人? 3幕ではピンポンパンは白装束。最後の最後に、本来はハッピーエンドの舞台で、トゥーランドットは刀を抜いて自決する。とにかくわからないことだらけ。おそらく今の時代カラフすなわちヨーロッパがトゥーランドットすなわちアジアや中東をそう簡単に屈服できないことを言いたいのかと思うが、ゼフィレッリみたいにとはいわないが、もう一寸豪華さとかあってもという感じだった。

 

 





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スウィトナーのベートーヴェン交響曲全集 [音楽]

スウィトナーのベートーヴェン交響曲全集をほぼ全曲聴いた。「ほぼ」の理由はあとで。1,2番を聞いてベートーヴェンの古典的な曲を古典的に演奏と書いた。1,2番はそれで良しとして3番以降の曲もきわめてオーソドックス、古典的。全曲頑固なまでにインテンポ、スコアどおりの強弱。スウィトナーのモーツアルトは当時定評があって特に33番はすばらしい演奏だ。どこにもよどみなく流麗な演奏。でも私にはハフナー以降の曲、特に39番、40番、ジュピターは物足りなかった。
40年前の東ドイツでは第一人者、日本ではN響を度々指揮し、人気のあった指揮者だった。ベートーヴェンをどう演奏していたのかと思い図書館から借りてきた。ベートーヴェンの音楽、あのやや押し付けがましいところのある音楽を、ここでは何の色もつけ加えず、そのまま出してきた演奏。ネットのレビューでは肯定的な感想が多い。
社会主義国家の当時の東ドイツ、クラシック音楽が広まりつつあった日本では、個性的な演奏よりも模範的な演奏がもてはやされたのかと思う。聴いていて興奮や熱狂からは程遠く、眠気を禁じえない。「ほぼ」の理由はここにあり。1980年ごろの録音で、クライバー、ウィーンフィルの5番、7番よりも新しい演奏ということになる。


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ミンコフスキーのハイドンつづき [音楽]

もすこし、ミンコフスキーのハイドンについて続けようと思う。
快速な楽章はよどむところなく流れ、緩徐楽章はよく歌う。まだ全部を聴いてはいないが、ライナーノートにあるようにどの曲を聴いても、冗長さや退屈さを感じない。吃驚と太鼓連打の趣向だけでなく、各曲で思わぬところでヴァイオリンがソロになったり、(トリオを弦楽四重奏でやるのは時々聴くが、奇跡の第二楽章では随所でヴァイオリンのソロが聞こえる)チェロのソロがでたりする。ライブ録音はどのようば演奏会だったのかわからないが(もしかして12曲を2晩か3晩連続?)、ややもすると金太郎飴な12曲をさまざまな工夫と趣向で飽きさせずに聴かせる工夫がある。
オーケストラのうまさも特筆もの、全体としては流れを重視した演奏だが、ロンドンのトゥッティーでは重厚さも感じられる。ソロではヴァイオリン、チェロがすごい。(が奇跡のオーボエはちょっとやりすぎ。)どうしても乾いた音になりがちのピリオド楽器でここまで歌っているのはすばらしい。
全体として芸術的感動というよりも、もともとハイドンの音楽にある愉悦を、さまざまな工夫を凝らして引き出した演奏が、この上も無く楽しく、美しい。音楽を聴く楽しみを味わえる。たとえていうなら、塩味、砂糖や油はおさえ、素材のよさを生かし、随所に彩りをそえ、薬味を効かせた、目と鼻と舌で楽しめる極上の懐石料理だ。
私はもともとハイドンが一番ではないが、好きで良く聴く。モーツアルトほどの華やかさや悲しさはなく、ベートーヴェンの偉大さもない。チャイコフスキーやドボルザークの哀愁もない。後期ロマン派の音楽で聞くオーケストラの醍醐味もない。けれどもハイドンの音楽には純粋に音楽を聴く楽しみがある。今までハイドンをあまり聞いていない人に是非聞いてほしい。


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ミンコフスキーのハイドン [音楽]

 シンフォニーが無性に聴きたくなり、みなと図書館からミンコススキーのハイドンセットとズイトナーのベートーベンを借りてきた。ズイトナーは1番を聴いてみた。ベートーベンの古典的シンフォニーを古典的オーケストラ(シュターツカペレベリリン)が古典的に演奏。3番以降はどうなるのか。
 ハイドンはこれまでワルター、クレンペラー、バーンスタイン、セル、ベームの演奏が、それぞれ個性があって好きだ。(カラヤンのハイドンはちょっとどうも)新しいところではラトルのパリ交響曲もよかった。ワルターは温かみと音楽への愛情を感じる演奏、クレンペラーはどこまでも厳しく峻烈な演奏ながらヒューマンなところも感じさせる。バーンスタインはまず自分が楽しみ、それが聞き手に伝わる。セルはとにかく細かいところまで血が通った緻密な音楽、ベームはちょっと無骨で古典的な見本の演奏だが、かみしめると味わいがある。ラトルは・・・。
 ミンコフスキーは発売当時評判になったCDらしいが、とても面白い。ヴィブラートのない、次から次へと流れる音楽だが冷たさは感じない。独善的でなくオーケストラとともに音楽を作りながら、自分の音楽もきちんと表現している。
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